学生時代に優秀な大学の人と多く接したことで感じたこと

札幌出身の私は、東京の大学に進学し卒業後も約10年にわたって東京で社会人生活を送りました。

   大学時代は、1年2年の頃はほとんど同じ大学の人、

   しかもかなり特定の人としか付き合いがなかったのですが、それじゃ勿体ないと想い、3年生からは

   積極的に他大学の人との関係性を増やしていきました。

   特に面白かったのが、東大慶応早稲田の人との交流でした。とにかく話のスケールが大きく、

   しかも先進的な感じがして、同じ年なのに圧倒的に差があるという思いをしたものでした。

   曰く「俺は、日本を変えるんだ」とか、「起業して上場させるんだ」的な話は、日常茶飯事でした。

   今でいう「意識高い系」という言葉がない時代にあって、まさにそういう人たちが、就職氷河期とか

   失われた10年(当時)とか、そういう閉塞感を打破しようと本気で考えていて、

   バブル世代と呼ばれた上の年代をぶち破ってやろうという気概を持っていたのでした。

   そういう優秀な大学の学生が、当たり前のように大きな目標を掲げながら生きる姿に、「なぜ、そんな大言壮語とも思えることを平気で言って、しかもそれに対して誰も突っ込まないんだ」と、当時の私は不思議に思ったというのが、この話の主題です。

   なぜなのか?

   例えば、「俺は芸能界を変えるんだ」という話を北海道の一大学生が言ったとしても、

   誰も本気にはとらえないです。「何馬鹿なことを言っているんだ」と言われて終わりです。多分。

   それが成り立つのは、おそらく、彼らは社会で活躍する先輩の姿を見ており、そして、その活躍する

   人物が、大学時代は自分と何も変わらない学生であったことを知っているからではないでしょうか?

   わかりやすく言えば、「あのアホな佐藤先輩でも、○○社で取締役になったんだから、

   俺だってできる」

   優秀な大学の学生には、そのような思考が当たり前にある。

   「やれば自分だって、できる。できて当たり前だ」この感覚がいかに重要か。。

   今年、北海高校が甲子園で準優勝をしましたが、これだって、先に駒大苫小牧があの偉業を達成した

   のがあったからこそ、

  「雪国だって甲子園で勝てて当たり前」というモードになっていることが要因として言えると思います。

   それまでは、負けても「雪国だと練習量が少ないから、負けても当たり前」というマインドが数十年

   に渡ってあったわけですから。

   何が言いたいかというと、自分(川村健治)弊社(MASSIVE SAPPORO)も、この札幌で、

   そういう影響を与えられる存在になりたいと思うんです。

   「だったら自分だって、できる」

   そう思ってもらえたら本当にうれしいです。

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