環境の問題ではない

高校を卒業し、東京の大学に通った最初の夏休みのことでした。
地元札幌に戻り、北大生になったかつての同級生と会う機会がありました。
その人は、「大学、つまんねー」と何度も言ってました。
でも、その人は高校生の頃も「高校、つまんねー」と常々言ってました。

これって、環境の問題ではなく、本人の問題なのではないかと感じた出来事でした。

「楽しむセンスのない人は、どんな環境にあっても楽しむことはできないのではないか?」
当時19歳の私にそのような仮説が生まれました。

ちなみに私は、大学生活というものをすで最大限にエンジョイしていたので、
余計にそう思ったのでした。

その仮説が正しいと証明される場は、それから半年後、突然に訪れました。
私は、アルバイトとして道路警備の仕事をしていました。
具体的には夜間の通行止めという仕事で、交通量のほぼ皆無な場所で、通る自動車に対し、
「今夜はここは通れません」というだけの仕事です。
夜の9時から朝の6時まで、ただ、立っているだけという仕事です。
当たり前ですが、暇です。そして、暇すぎるのと寒すぎるという苦痛を8時間耐えるのみという仕事です。

当初は、とても苦痛で、8時間が16時間のように感じました。
ところが、そんなある日、北大生の話を思い出しました。
「彼は、大学生活でさえも楽しむことはできなかった。
だけど、俺は、こんな暇で極寒な局面でも、最大限に楽しんでやる!」

それからというもの、この状況を最大限に楽しむための挑戦が始まりました。
結果としては、苦痛だったこのバイトは、あまりにも楽しすぎて、ずっと続けたいと心底願うまでになりました。
8時間という拘束時間は、最終的には、2時間程度にしか感じなくなったのです。

何をしたのか?
それは、作曲、作詞、漫才ネタ作成、演劇脚本をこの8時間の間にやりきるという課題を課したのです。
さすがにたったの8時間だと、逆に時間が足りないのです。
さらにいうと、バイト中なので、ノートにメモることもできず、記憶するということも作ると同時に行わなければならない。
記録できない以上、証拠はありませんが、少なくともキングオブコントで優勝できるクオリティのネタが生まれたとか生まれなかったとか。。。。。

まあ、つまり何が言いたいかというと、幸福とか楽しいというのは環境の問題ではないということです。
どんな環境でも幸福になれるかどうかは、考え方と技術の問題ではないかということです。

一言で言うと、「環境のせいにするな」です。

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