人は成功談や自慢話を求めていないのではないか?
というのも札幌市からの依頼を受け社会人の起業家(企業準備中の方が多め)向けのセミナーの講師をさせていただく機会があったのですが、主催者の方から「神回だった」と言っていただくことができました。
アンケートを見ると、赤裸々に語られた苦労話、失敗談、そしてそれを乗り越えていく姿がとても刺さったようでした。
確かに今回は、コロナ禍があり、それに起因するハードシングスに加え、プライベートでも辛い出来事が重なったりもして、意図したのかどうか、あまり自分では分かっていませんが、ただ、それを敢えて隠さず曝け出すことは意識していたようにも思います。
もう少し深掘りしてみると、無意識的に、「こういうハードシングスは、必ず起こる。道を誤ったからではない。正しい道を歩めば必ずそうなるんだ。勝負をそれを乗り越えれるか、そこで心が折れるかだ」というメッセージを込めていたことに気づきました。
コロナ禍で苦しい渦中にあった時、いつかきっとこれを乗り越えた体験が、誰かの励ましになる日が来ることを強く望んでいたことも思い出しました。
喉元過ぎれば熱さを忘れる私への自戒を込めて。