バックパッカーだった自分に感謝
中学生の頃、ある旅行番組で見た景色が、今でも頭から離れない。
成田空港を出発して、まずはカナダのトロントへ。
そこからアメリカのニューヨークへ渡り、さらに南へ、フロリダだったか、もしかしたらキューバだったか――。
とにかく、「世界ってこんなふうに繋がっているんだ」と、強烈に心を奪われた。
高校2年生の頃には、『ホットドックプレス』という雑誌の「世界一周はいくらでできるか?」という特集に夢中になった。
そこで知ったのが、タイのカオサンロード。
世界中のバックパッカーが集まる“聖地”のような場所だった。
同じ頃、世の中では『電波少年』の猿岩石が、ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断する旅が話題になっていた。
(私はリアルタイムでは見ていなくて、後に出版された本で読んだ)
そんな原体験があって、大学時代、自分自身も自然とバックパッカーになった。
最初の旅は、タイ・バンコクから始まり、チェンマイ、南部のチャーン島、そして最後はカンボジアのアンコールワットへ。
2回目は、バンコクからインドへ飛び、カルカッタ、バナラシを巡り、最後はタイ南部のパンガン島で過ごした。
3回目は、バンコクからチェンマイ、ラオスを経て、中国の雲南省へ。
昆明、大理、麗江と北上していく旅だった。
旅をするたびに仲間が増えた。
次の旅でまた再会したり、
途中で別れて、それぞれの目的地へ向かったり。
何の制約もなく、自由気ままに動く。
あの感覚は、今思い返しても特別だった。
当時は円高だったこともあり、10万円もあれば、学生なりにはかなり贅沢な旅ができた。
安宿に泊まり、屋台でご飯を食べ、
たまに少し良いホテルに泊まる。
それだけで十分に幸せだった。
そして、この頃に「海外旅行はやり切った」という感覚があった。
旅先で出会う日本人には、会社を辞めて“自分探し”をしている年上の人がたくさんいた。
今では少し古い表現かもしれないが、当時は本当に普通に使われていた言葉だった。
その人たちを見て、自分はこう思った。
「いや、それは学生のうちにやっておかないとダメなんじゃないか」
社会人になってから迷うくらいなら、
今、この自由な時間の中で、自分なりにやり切るべきだ、と。
だからこそ、学生時代は徹底的に旅をした。
その結果、社会人になってからは、不思議なくらい迷いがなかった。
やるべきことをやる。
働いて、結果を出す。
そうやって頑張ることに、何の違和感もなかった。
社会人として結果を出したことで、
「自分はちゃんとやれる」という、根拠のある自信も手に入った。
だから、起業するときも、
そこまで大きな恐怖はなかった。
自然と、「やっていける」と思えた。
振り返ると、あの旅がなかったら今の自分はなかったと思う。
もちろん、今は時代が違う。
円安で、当時ほど気軽に長期の海外旅行はできないかもしれない。
スマホも発達して、地図も翻訳も予約も、全部簡単になった。
でも、当時は違った。
情報源は『地球の歩き方』と、
旅先で出会う人たちから口づてで得る情報がすべてだった。
「あそこの宿が安くて良かった」
「次の町へ行くなら、このバスに乗れ」
「この国境は今ちょっと危ないらしい」
そんな曖昧で、でも妙にリアルな情報を頼りに動いていた。
だからこそ、
一つひとつの移動にも、
宿を探すことにも、
出会いそのものにも、
ちゃんと“冒険”があった。
昔ほどの不便さはないかもしれない。
でも、それでもなお、
若いうちに異世界や異文化に飛び込むことには、大きな価値がある。
知らない街で、
知らない人と話し、
自分の常識が通用しない場所に身を置く。
それは、確実に人生を変える。
旅は、単なる思い出づくりじゃない。
自分の輪郭を知ることだと思う。
だから学生の人には伝えたい。
もし少しでも行ってみたいと思うなら、
ぜひ、若いうちに旅をしてほしい。
きっと、その経験は、
何年経っても、自分を支えてくれるから。
