先日、大好きだった叔父が亡くなりました。
叔父は35歳の頃に統合失調症を発症し、それから約40年という長い時間を病とともに生きました。
本人の苦労はもちろんのこと、支え続けた医療関係者の皆さま、そして母や叔母には、心から敬意を表したいと思っています。
病気になって数年の叔父は、普段は一般の人とほとんど変わりませんでした。普通に会話をし、笑い、時には冗談も言う。ただ、それでも週に一度ほど、どうしても問題行動が起きてしまい、近隣とのトラブルになることもありました。
そんな状況の中でも、叔父は30代後半になってなお、「再就職するんだ」と履歴書を書き続けていました。
あの姿は、今でも私の記憶に強く残っています。
私自身、社会人になってから何度も苦しい時期がありました。
私はいわゆる就職氷河期世代です。
「ここを辞めたら次はない」という恐怖感が、当時は本当にリアルでした。
そして、叔父の姿を見て育ったからこそ、私は耐えられた部分があったと思っています。
五体満足で働けること。
仕事ができること。
社会とつながっていられること。
そのありがたみを、私は誰よりも噛み締めながら生きてきた気がします。
今振り返ると、私が20代だった頃の日本社会は、かなり極端な「ブラック社会」だったと思います。今では到底許されないような働き方も普通にありました。
もちろん、二度と戻りたいとは思いません。
本当にギリギリでした。一歩間違えば、精神を壊していてもおかしくなかった。
ただ、その時代があったから今の自分があるのも事実です。
厳しく育ててくれた当時の上司たちには、今では感謝しかありません。
時代は、本当に大きく変わりました。
「仕事があるだけありがたい」という価値観から、
「嫌なら辞めて当然」という価値観へ。
その変化は、私が思っていた以上に急速でした。
だからこそ、こういう話は今の若い世代からすると、「古い時代の根性論」に聞こえるかもしれません。
ですが最近、これは決して他人事ではなくなるかもしれない、と感じています。
理由は、AIの急速な進化です。
これからの時代を生きる若い世代は、
「人間にしかできないことは何か?」
という、私たち世代が想像もしなかった問いと向き合いながら生きていくことになるのでしょう。
結局のところ、時代は必ず変わります。
そして、その変化に適応できるかどうかが、常に問われ続ける。
叔父の人生を振り返りながら、そんなことを改めて考えています。
そして同時に、「働ける」ということの尊さを、これからも忘れずにいたいと思っています。
