既視感、
それは20年前にタイバンコクに訪れたときと同じものでした。
当時20歳だった私が、40歳になり、そしてカンボジア首都プノンペンで同じ気持ちを抱いてることに、
不思議さを感じずにはいられません。
活気があり、そして人々の表情は一様に明るい、貧しいけど、未来は今より確実に豊かになっている。
その確信がすぐに伝わってくるのでした。
村上龍の著書「希望の国エクソダス」の中で、「この国には何でもある。だが、希望だけがない」と書かれたのは、
1998年とちょうど今から20年前のことです。
当時、「失われた10年」と言われ、それが20年となり、そしてもう30年になろうとしている。
それが日本です。
私の人生の40年のうち、30年は失われていたのかと思わず苦笑いしたくなりますが、
景気や環境によって幸不幸は決められたくはありません。
じゃあどうするのか?
私の考えは、ローカリズムとグローバリズムの両方に軸足をおけるようにする生き方というのが重要ではないかと思います。
私は生まれ故郷である札幌にて事業を行い、そして生まれ育った実家付近に住み続け、
遊び仲間も小中学校時代の人が中心とよく言えばローカリズム愛、悪く言えばマイルドヤンキー的なライフスタイルを実践しています。
事業としては、札幌を中心に行ってはおりますが、
国際的な人材を集めインバンドを顧客とし、グローバルとも関わりを持っています。
プライベートの部分でのグローバルとの接点が足りなことが分かります。
だから、そのための準備を着々と行っています。
妻と子供は、どのタイミングで東南アジアに引越ししようか?どの国にしようか?とか。。。
昔ならかなりマニアックな話かもしれませんが、今後はかなり当たり前の選択肢になるべきと思ってます。
少なくともカンボジアの若者の希望に満ち溢れた表情を見て、
子供にはこう育って欲しいと思ったのです。