カンボジアのプノンペン、
10年前は背の高い建物は一切なかったというこの街は、わずかな期間で大都会を思わせる高層ビルを多数作り出しており、
風景を一変させている。
親日国は数多いが、この国は一線を画している。
主な理由は、 国連平和維持活動(PKO)を主導したのは、日本人の明石氏であり、
日本からの巨額な政府開発援助によって国道や橋が築かれたという歴史があることが大きい。
東南アジアは、どの国でも日本車が過半数以上をしめるケースは珍しくなく、この国も同様だが、
際立ってトヨタの比率が高く(というか、日産、マツダ、本田は見ることがなかった)、
しかもレクサスブランドのランドクルーザーと
最新式アルファードが異常に多かった。その次に多かったのは、レンジローバーであり、ドイツ車はほぼ皆無、韓国車は5%程度見受けられた。
古い年式の車自体も稀にしか見かけなかった。
カンボジア人が使う電話はスマホであり、移動手段はオートバイ(ここではホンダの独壇場で、suzukiもkawasakiも珍しく、yamahaはやや健闘していた)
が中心で、自転車を見かけることは稀だった。
店舗のデザインは、ブルックリンスタイルが多く、街並みが非常に美しかった。
ムードは20年前のタイバンコクを彷彿とさせるが、発展が遅れた分、後発の利のメリットを享受しながら急速に発展していく姿が目に浮かんだ。
日本は、経済分野や高齢化社会という分野で先進的なポジションを担ってきた。
先行者メリットを得ると同時に、多大なる研究開発試行錯誤を繰り返し、そこには膨大なコストがあったことは言うまでもない。
後発の利は、それとは真逆で、固定電話もなく突然スマホ、
決済手段もアリペイなどのフィンテックを当たり前のように受け入れる(アメリカはいまだにトラベラーズチェックが主流らしい)
こうして遅れてきたカールライスのどんどんと先行車との距離を縮めると言うことだ。
(以下、内部情報多く省略)