そもそも事業というのは波があるものです。
良い時ばかりでもなく、悪い時ばかりでもありません。
この民泊事業も良い時は多くの人が群がり、そして悪い時には皆が去っていきました。
「どうせ民泊なんていっときのブームに過ぎなかった」という言葉を残して。
だけど、私も45歳になってやった気づいたことは、本当のチャンスはその先にこそあるということです。
コロナ禍のどん底の状況の中、私が留まり続けた理由については、いろいろな場面で語ってきました。
そのどれもが真実ではあるのですが、幾つもある理由の中で、その聞き手が一番納得しやすい言葉を選んでき続けたような気がしていました。
そんなある日、ついに自分の本当の理由に気づく場面がありました。
それは、MASSIVE SAPPOROにおける新入社員向けのオンボーディングの中でした。
私は、オンボーディングの中で、私自身の人生の生い立ちを詳細に語っています。
会社のカルチャーは、その経営者の人生観が色濃く反映されるもので、なぜこの事業をやっているのか?なぜこのような社風なのか?なぜこのような制度があるのか?など、経営者の人生を理解できれば、容易にわかるものだからです。
そのオンボーディングは、私自身にもまだ気づかぬ盲点を教えてくれることもあります。
私は、中学1年生から高校2年生まで5年間はとても孤独でした。
八方美人な性格が仇となり、クラスの誰とも話ができるのですが、逆に誰からも親友とはみなされない、
どのグループからも仲間とはみなされないようなそんな日々を送ってました。
そして、当の本人である私はその原因もわからなかったのでした。
その時期を親友不在の5年と呼んでます。
(ちなみに小学生の頃は、いつも特定の人とばかり遊んでおり、その反動でそうなったのでしたが)
そんなある日、高校からの帰宅途中に中学校の頃の同級生とばったりと再会します。
「おー、久しぶりー」という会話の中で、「毎日、皆が俺の家に来て、溜まり場になってるんだよね。健治もくる?」と誘ってくれました。
その日から私の人生は一変しました。
モノクロ色だった世界がカラーに変わったような気持ちでした。
「仲間がいる」「居場所がある」
たったそれだけのことなのに自分が何かスーパーマンになったような自信が満ち溢れてきました。
その仲間といったキャンプ、スキー、ドライブ、カラオケ、麻雀、その全てが今でも色褪せない思い出です。
(あれから30年近く経った今もゴルフ仲間です)
ここで得た自信がなければ、その後の人生はなかったに違いありません。
だからこそ、私はシェアハウスという事業で起業をし、民泊という事業を通じ「家族旅行」「グループ旅行」をこの世界にもっと生み出したいと思っているのでした。
そもそも起業家という道を選んだのも人生の中で最も長い時間を要するであろう「仕事」をともにする仲間を自分自身で選びたいという気持ちだったからだとも気づきました。
私にとっての仕事人生はずっと仲間に恵まれすぎるくらいに恵まれてきました。
ですが、今、このMASSIVE SAPPOROにいる仲間は史上最強です。
とても誇らしいです。
その原体験が、まさか、あんな情けなく苦悩に満ち溢れた「親友不在の5年」にあったとはと思うと、
辛かった日々もこうやって幸福の原因になるのだなとしみじみしてしまいますね。
そんな原体験のお話でした。