2020年1月、今なお世界を苦しめるコロナ禍が武漢肺炎と呼ばれていたころ、父は急逝しました。
起業してまもない2011年11月からの6年間、私は生活コストを極限まで切り詰めるため実家暮らしをしており、
両親とも同居していました。
そんな父と私は仲が悪くもありませんでしたが、
共通の趣味である野球の話以外はほとんどした記憶がないという関係でした。だから良いという訳でもないかなと思います。
同居しているのだから、もっと腹を割った話とか昔の話とか沢山するチャンスがあったのにと思うのですが、
お互いシャイな性格だったからでしょうか、最終的には心残りとなる結果になったのでした。
先日、経営者仲間とルスツにスキーに行った際、リフトにのっている時にふと、そんな父とのとあるエピソードを思い出したので、
書き記してみたくなりました。
創業まもない時で、売上も月に200万程度で、毎日寝る間も惜しんで働き尽くしていたある日、
実家の外壁を塗装するという話を聞きました。
私の親友は、塗装職人であり、父とも何度も会った仲でもあるので、その友人に発注しようと提案しました。
私としては、友達価格で安くなる上、その塗装代を会社の売上とし、ほんの幾ばくかでも利益も得られればという
考えで、誰にとっても良い話に思えました。
会社の売上が、200万程度だった時なので、一戸建ての塗装費用は100万弱としてもインパクトのある数字でした。
しかし、父は数日間検討した結果、私の提案を断りました。
「こんなに俺が日々頑張ってる姿を見ていて、そりゃないだろう」と言いはしませんでしたが、
私は一瞬カッとなった気持ちがありました。また悲しい気持ちにもなりました。
もちろん、既に30過ぎた大人が家に住まわせてもらっている立場でもあり、それだけでもお世話になってはいましたが、
起業まもない大変な時期に両親からも協力もしてもらえないのか?と自分可哀想モードになってしまいました。
その後2日ほど経って「これはきっと、親に甘える気持ちを断ち切って飛躍してほしいという想いから父はそう決断したのだ」と捉えてわだかまりは消えました。
(そう聞いた訳ではありませんが、プラス思考でそのようにマインドチェンジしました)
そして3ヶ月後に母から意外な真相を聞くことになりました。
「お父さんはお父さんで、親友がいて、その人に頼みたかったようなのよ。かなり迷って葛藤はしてたみたいだけど」と。
それを聞いて私はとても嬉しい気持ちになりました。
父にそういう大切な親友と呼べる仲間がいるとは知りませんでしたし、それこそ友達いないんじゃないのかな?くらいにさえ
思っていたので。息子と親友という葛藤の中、息子ではなく親友を選んだ父に対し私は誇らしく感じたのでした。
もちろん、どんな時でもその決断をすることが格好いいと思ってる訳ではありません。ケースバイケースだと思います。
だけど歳を重ねれば親友が減ることはあっても増えることは簡単ではないですし、
また家族を大切にするためにも仲間・親友の存在というのは大きいです。
ちょうど、このエピソードを思い出しのが、大切な経営者仲間と素敵な時間を過ごしていた時だったので、
これは単なる偶然ではないのかもなと思ったりもしました。
私の子供達も絶対に素晴らしい仲間に囲まれて過ごす人生を歩んでほしいですね。私のように!